スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

先週の礼拝

ハレルヤ!先週の礼拝内容です。
先週は、パウロが手紙の中で語っていた、異邦人についての所から、メッセージをシェアしました。
パウロが話している異邦人とはどんな状態か、どうなって、何に行き着くのか?、また、どういう伝道をしていたのか?です。
2月からは、スタッフ養育に力をさらに入れて、さらにコアな深い聖書の学びへ進めていきたいと思っています。
箴言の神のソフィアについて、など、話したいです。

子供の聖書の話は、天地創造でした。

栄光在主!

先日の礼拝

ハレルヤ!主の御名を賛美いたします!
先日の礼拝は、キリストによって・・という、パウロの手紙でもよく書かれている部分について、特に話すことになりました。
あと、パウロがどうして、いつもあのような祈りをしているのか?、その祈りの奥義もシェアしました。
それらが理解できると、使徒たちの祈りに近づけます。
彼らの祈りは、聖書を読んでいてもとても深いと感じるでしょう。
なぜかというと、まず理解度が違うからです。現代のクリスチャンたちが理解しているよりも、はるかに彼らは聖書も福音も理解していました。祈りとは何か?礼拝とは何か?も。
当時は、現代より不便なので、時間がありません。そんな中で祈るとしたら、短いです。いつも長い時間取れるわけではないでしょう。
イエス様も、だらだらと見せ掛けで長く祈るな、言葉数が多ければ聞いてもらえると思うな、と言われています。
イエス様はよく一人で祈るのを好まれました。そのほうが集中できるし、だれにも邪魔されず、父なる神様との深い交わりに入れるからでしょう。奥まった部屋で、だれも見ていない所で、個人的に祈る濃厚な時間、ですね。こういう時を1日のどこかで持つのは大切です。
それはまたの機会にメッセージでシェアします。

次回はまた違うゲストが来るかも?です。
1月中は、まだ落ち着いて、荒野での研究会という専念している感じがしないかもしれません。

子供の聖書のお話は、「御言葉によって」でした。

先日の礼拝

ハレルヤ~、主の御名を賛美いたします。
先日の礼拝は、ゲストが来られるという事で、4時間枠で行われました。
予想通り、時間枠ぴったりでした。
メッセージは、箴言でした。昨年、伝道の書をやっていたので、その対比的な内容を見ていきました。
次回は、「神の義」についての予定です。現代教会では、聖書の一部を使用して曲解されて教えられている事が多いですが、怒りについて、全般的に悪いものというイメージがあります。しかし、聖書の原語では、良い怒り(義憤)と、悪い怒りは別になっている事を知っているクリスチャンは、どれほどいるでしょうか?
しかし、決して怒ってはいけない、裁いてはいけない、と聖書の本来の意味を曲げて教えている事が多いです。
そうすると、不正や悪が行われた時、なにもできず、容認する事になります。それは、つまり、加担です。聖書では、「悪に加担してはいけない」とあります。
聖書では、サウル王の息子ヨナタンは、自分の父であるサウルであっても、ダビデに対しての不正、悪い態度に気づいた時、王でもある父親に指摘しました。結果的には、父親は聞き入れず、ヨナタンはダビデを逃がし、そのまま父親についていき、死んでしまいました。
神様は、そういう悪いことを認められる方ではありません!許容もダメです、共謀になりますので、ヨナタンのように刈り取ることになります。
しかし、その聖句を曲解して引用し、信徒たちに何もいえないようにさせるという霊的ハラスメントがあったりします。
そういう時は、「ゆるしなさい、裁いてはいけない」という意見がすりこまれている人たちが多いですが、壊れますよ。
それで、クリスチャンで教会に通っているのに鬱になったりする人たちがいます。
裁いてはいけないの箇所は、そもそも、当時の口伝律法を引用して裁いてはいけない、正しい基準を用いろ、正しい裁きをしなさい、という意味です。いつまでも浅い読み方や、理解をしていてはいけません。
キリスト教界内は、そのあたりがあいまいになっていますので、ここは1からきちんと判断基準を教えます。

主が裁かれる、と言う意見もありますが、毒麦のたとえであるように、主は、最後までそのままにされておいたりします。実際、あれ?と思うような悪い事件があって、何度も犯罪を繰り返しているような事件も多くあったでしょう。どこかで、その人が悔い改めるのを待っている、親心というか神心もあるのでしょう。
聖書でも、イスラエルを酷使していたエジプトは長く繁栄しました。
現代でも、教会で起きた事件のニュースで、牧師による信徒への暴行事件などがあったりもしました。しかし、そのままなので、アエラという取材団体が追求して、おかしいと疑問を記事に書いています。
被害者が被害を受けて泣き寝入り、加害者が、「ほら、私はなんともない!」と高慢になっているのが現状です。「私は害を受けてない(そりゃあ、害を与える側だから)。神にいつも祝福されている!」と言います。
でも、主の働き人、主に用いられている人が、順風満帆だと、イエス様は言ってるでしょうか?パウロは言ってるでしょうか?逆です!祝福されず、苦しみが多くても、恥とはしない、です。イエス様のご生涯自体、多くの苦難がありました。神様が人となる事自体、大きな苦しみ、へりくだりでしょう。
2テモテ1:12 
そのためにまた、私はこのような苦しみを受けているが、それを恥としない。なぜなら、私は自分の信じてきた方を知っており、また、その方は、私に委ねられているものを、かの日に至るまで守ってくださる事ができる、と確信しているからである。

聖書で、神様は弱い立場の者を守るよう、言っています。踏みにじられるから、です。悪者が繁栄する事実は聖書にあちこち書いてあります。
ただ、イエス様やパウロは、そのような時の指針を示されました。

子供の聖書のお話は、十字架のお話でした。

栄光在主!

Happy New Year 1/1元旦礼拝

ハレルヤ&Happy New Year!!!

今年も主にさらに祝福されて、歩んでいきましょう!
年初めの記念すべき1日ですので、この日にぜひ神様の御前に出たいものですよね。
新年の食事会、もちろん聖餐式もありました。記念すべき日ですので、主イエスを覚える時ともしたいです。
去年は不思議な方法で、新たな賜物を頂き、主に感謝です。

新年元旦メッセージは、主の十字架と復活でした。
聖餐式もちょうどあったので、イエス様がした聖餐式を追って、最後の晩餐の箇所も見ました。
そこから復活までの時系列がわかりくいと思いますので、その時系列の説明もしました。

軽い福音しか聞いてなかったとしたら、かなり重厚な福音というのが理解できたはずです。
主がすべてを犠牲にされて、これでもか!というくらい、下に下られた・・その深さ!ですね。
聞いてるほうがうるうるきているのが、見ててわかります。私はメッセの準備の時点でイエス様のすごさに号泣です。
もう、十字架の周囲にいた人たちが、イエス様に驚いている様子がわかるでしょう・・・。

栄光在主!

次回は新年会です!

次回、日時場所変動します。
年末よりかは、新年に集まりたいので、新年の1/1の予定です。
新年会として、食事会もあります。

今週、水曜は、聖書の学びがあります。

栄光在主!
カテゴリ
リンク
最新記事
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。